1/21 after six[13] 更新!!
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 伊野田皐月は見学生たちの最後尾に位置をとっていた。片手で「こちらです」というふうに誘導していた自分が、ホテルマンのようだった。女子学生の三人組が彼を一瞥して小走りで集団に付いていった。スカートが必要以上に短いのは誰のためなのだろうかと疑問に思う伊野田である。学生達は長くて広い、回廊を一直線に進んでいく。

 私語と靴音を注意された学生たちだが、高揚感は抑えきれないのか、ひそひそ声が聞こえる。艶やかな装飾品や絵画に手を伸ばそうとする学生がいたが、我に帰ったのか触れずに終わった。もう少しで注意をしなければならなかった。
 光沢のある大理石の上に自分の姿が映る。彼は腕時計に視線を落とした。
 あと15分ほどで始まる。
 それまでに学生たちを3階ホールまで移動させて、臨場感を出すために照明を落とす。その単純な手順を頭の中でリピートさせてから、通路の奥、照明スイッチ、シャンデリアの形、クリスタルの響き、バルコニーの模様、夕焼け空、表情豊かな絵画、せまりくる予定されたパフォーマンス……そのすべてを「自分が見ている」イメージを脳内に這わせた。
 これは伊野田のクセであって、行わないとすっきりしないのだ。朝のコーヒーと同じ、なくてはならない作業なのだ。一連の作業をおえてから振り返り、先ほどまで案内をしていた洞窟の部屋の扉を閉めようとしたのが……。

 そこにはまだ一人、学生が残っていた。よほど感激したのか知らないが、両膝をついて鍾乳洞を見上げ……いや下を向いていた。頭を少しフラフラさせているから立ちくらみでも起こしたのだろうか。 伊野田は扉の奥に突如広がる洞窟へ戻った。洞窟と言っても、真っ暗なわけではなく、ブルーやグリーンのスポットライトを当てて、幻想的な雰囲気を演出している。小さな滝が流れる音と飛沫がマイナスイオンを発しているようで、見学者は長時間ここに居たがる。しかし小銭を投げるのはやめてほしいと思う伊野田である。

 硬質な場所から一瞬で非現実的空間へと入り込む違和感を彼は感じる。この空間を切り取って、1日レンタルしたいくらいだ。とたんに涼しくなる。
 贅沢な室内から、扉一枚挟んで存在するこの洞窟は、自然のもので、これに合わせて建築されたと、さっきの学生たちに説明したのだが他の学生たちも薄情なものだ。そこにいる人物は、男だということはすぐにわかった。足下にプリント類を散乱させて、いま、立ち上がろうとしていた。こちらの足音が聞こえたのか、膝に手をあて、体を支えながら振り向こうとしている。あと5歩というところで目が会う。
彼の目は寝起きのようにトロンとして、まさに今起きました、の状態だった。着ているものも同じ制服ではなく、グレィのポロシャツとジーンズで、この場所には似つかわしくない格好だった。ここは、200年前に、当時の街の象徴として建造されたサーゲイト城。城と言っても、ファンタジーに登場するような背の高い、お決まりの城ではない。山の斜面を平たく切り出した広大な敷地内に造られた、豪華な横長の3階建ての城で、今日のように一般公開もされている。
 住んでいる人物は今はおらず管理人がいるだけ。城っぽいところといえば、山の上にあるため眺めがいいことと、オブジェと装品の豪華さだ。それであっても城内はラフな出で立ちで来る場所ではない。よく見ると、スニーカーすら履いていない。はじめから(開城まえから)ここに居たのかもしれないと思ってしまった。よくもまぁ、管理人と守衛が許したな、と考えながら声を掛けた。

「どうされましたか」
 すると彼は瞳を大きく見開いた。まるで夢から覚めた瞬間のような顔だと伊野田は思った。低血圧にも程がある。何も話さずにキョロキョロしている。目を見開いたまま、ゴキブリは? と小さな声を発するので、思わず、は? と声をあげてしまった伊野田は慌てて口をつぐんだ。仕事中はきちんとしなければ。少年は続ける。
「地下室にゴキブリ」
「それが居たんですか? ここに?」
「地下室に!」
「ここは洞窟の部屋ですよ。それよりも早くみなさんの列に戻って頂かないと」
 伊野田が少年に促したとき、無線が入った。少年の眉間にしわを寄せながら、何かを言おうとしてとどまったまった。
『伊野田さん、もうすぐ予定時刻です』
 電波と一緒に、いつものテンションを抑えた同僚の声がする。最近慣れた。耳にはめたイヤフォンを押さえながら、左胸ポケットに入っている小型無線機を取り出して応答する。
『本城さん、はぐれた学生さんを誘導していきます。少し遅れそうなのでそちらで開始をお願いします』

 小声で早口に用件を済ます。通信相手の本城は疑問符を浮かべた後、了解とだけ返事を返し無線を切った。さてまずスリッパでも用意しなければと思った時に照明がシアターのようにほんのりと落とされた。城内の明かりは夕焼けの光とオレンジ色のランプだけであるが、ほぼ暗い。なにかのアトラクションを彷彿させる明暗である。少年は、散乱していた書物を広い集め、暗がりの中、いまだに辺りを見まわしていた。
 ここはどこなんだと、叫んだつもりが、まるで声にならなかったユキル少年が居るのは、(高校生は果たして少年と呼んで良いものなのだろうか)自らが造り出した城だということに、本人は気がつけていないでいる。
 高音のエンジン音が聞こえて来て、ユキルは顔を上げた。すると目の前の男性が、すぐさま接客スマイルを取り戻すのが分かった。光沢あるネームプレートには伊野田の文字が刻まれている。彼はスリッパを用意するからここで待っててくれと、ユキルに言って、早足で部屋を去っていった。呆然としたままのユキルは、手元にある書類に視線を落とす。暗くてよく見えないので、一旦部屋を出て、左右を見渡し、唇を噛みながら、見つけたバルコニーに向かった。大理石の床は思った以上に冷たく、歩く度に頭蓋が覚める気がするが、これが夢なのかどうなのかもわからないユキルであった。似たような夢を見た事があった気がするが、起きた途端に半分以上を忘れてしまうのが夢である。

 エンジン音はだんだん近づいてきて、バルコニーに出た途端、ジェット機が3機、ハイスピードで前方を横切って行った。空気を裂く音が耳についた。彼は驚いて、身を乗り出したけれど、もう反対側に飛んで行ってしまったみたいで、姿は見えなかった。そこから見える景色は雄大なもので、広大な森林が広がっていた。その手前に、巨大なゲートがそびえ立ち、敷地内には噴水が設置されている。ジェット機のせいなのかはわからないが、人は誰もいなかった。夕日の光を頼りに、彼は書物に目を通してみた。遠くから、歓声が聞こえた。

 
城の入り口付近に設置された管理人室からスリッパ一足を持ち出し、だれも居なかったので駆け足で洞窟の部屋へと戻る伊野田に、また無線連絡が入った。
『こちら本城ー本城ー、あー、伊野田? 今どこにいるんだ? もう始まってるぞ』
『わかってる。今、もうすぐ学生ひとり連れてっから』
 無線の奥から、学生達の歓喜の声が聞こえてくる。破裂音が一度起こり、ノイズが走った。
『あー、そのことなんだが、ホールにいる学生さんな、全員いるぞ。全員誰も欠けてない』
『え? 洞窟の部屋に、一人いたぞ』
『どこかの家族の連れじゃないのか?』
『案内していたときは学生しかいなかったぞ』
 言いながら駆け足で回廊を進み、洞窟の部屋前に到着した伊野田は、その部屋ではなくバルコニーに少年の姿を見つけた。こちらに背を向けて外を見ている。後で連絡する、と言って無線を切った彼はネクタイを直しながら少年に話しかけようとした。しかし少年は影を伸ばしたまま、動かない。近づくと、声が聞こえてくる。彼が何かをつぶやいている。伊野田は怪訝な面持ちで近づく。

『しなければならない……振り返るとそこに魔術師がいる。きみを助けてくれる魔術師の一人である』

 そう言いながら少年は振り返ったので、伊野田はぎょっとした。まるでこの世の終わりを見てきたかのような顔をしている。こちらを見ながら、少年は続ける。

『キミがこの場から世界に戻るには、私の書いたこの文章を最後まで読む必要がある。いままでは夢だったかもしれないが、これは夢じゃ……』

「待て!!」
 その先を読まれる前に、伊野田は強く静止した。少年はビクリと身体を一瞬震わせ、こちらを見据えた。急いで少年のもとへ駆け寄ると、警戒心をあらわにしたユキル少年は、後ずさりして背中を柵に預けた。そんな小さな抵抗などは、あさっての方向に飛ばしつつ少年が持っている書物に手を伸ばして覗き見た。そこに書かれてあるものは、文字とは言えないほど乱れきった文字列や図形で、伊野田には読めない代わりに、ユキルには分からないことが彼には理解ができた。うわっと小さな悲鳴を上げた途端に、ユキルの怯えた目が彼を捉える。
「この文字が、わかるのか?」
「わかるも何も、この世界で使われていた言葉だよ。いまは誰も書けないし、読める人も居ないはずだった。君以外はね」
「俺、いや、僕だって、書けはしない。ただ読めるだけ」
 伊野田は両手で頭を抱えながら、先ほどまでユキルが読んだ項目を確認した。彼には読めないので、再度読んでもらう。ユキルは、しばらく伊野田をじっと見つめていたが、ためらいながらも、口にした。

『きみはたどり着いたこの場所で、全うしなければならない……振り返るとそこに魔術師がいる。きみを助けてくれる魔術師の一人である』
 そう言って、再度ユキルは伊野田を視界に納めた。何かを確認するかのように、じっと見つめている。自分と最低でも4つは年が離れているだろう少年の顔をこちらも見て、伊野田は苦笑いをした。
「魔術師?」
 そう問いかけられて、うなずく伊野田。あまりにすんなり認められて、ユキルはネジがゆるんだマシンのように、真顔で笑い出した。
「何いってんの? 魔術師? 全うしろ? ちょっと、ドッキリカメラとかあんでしょー? どこの局? もう十分騙されましたから、出てきてくださいよー」
 壊れかけたユキルの背後に再度、ジェット機が姿を現した。ここから見ると遠近感で小豆ほどの大きさに見える2機が、曲線を描いて回り込んでいる。みるみるうちに、こちらに近づいてくるのがわかった。伊野田はわめくユキルをよそに、疑問に思った。
(変だな、航空ショーは反対側でやってるはずなのに、なんでこっち側にも来てるんだ?)
 そう思うや否や、突如、航空機が4機になったように見えたが、違う。ユキルは口を半分閉ざし、一言つぶやいた。
「いま、撃ちませんでした?」
「撃ったな」
「大丈夫なんですか? こっちに来ますよ? これもドッキリ?」
「いや、航空ショーだ」
「弾、曲がりませんよ」

 変な落ち着きを取り戻したユキルに関心しつつも、このままでは直撃は免れない位置に、彼らはいる。いくら発煙式のペイント弾だとしても、当たればどこかしら破損するだろう。弾が途中で上空に向かうものだと思っていたが、それもない。やれやれ、と思いながら伊野田はユキルに告げる。
「そこに書いてある、魔術師ってやつを見せてやる」

 そう言って伊野田は、まっすぐにバルコニーから広がる景色を見つめた。そこにあるのは、上空にある遠くのジェット機、見下ろすと正面ゲート、狂いの無い柱の列、噴水、敷地を囲む広葉樹の木々、外へと広がる森があり、最後に飛びこんでくる弾丸を見据える。あと何秒かで到達。伊野田はポイントを定める。
 まずはジェット機の一つとこちら側のゲートをラインで繋ぎ、直線を作る。ゲートと広葉樹林の木々を結び、横のラインを頭の中に描く。木々のラインを、もう一つのジェット機と結び、最後に、遠くのジェット機同士をラインで結べば、彼の脳内には、2次元の四角い平面ができあがる。弾丸はその平面内に入っている。さらにその平面を垂直に、敷地から目測で10メートル上まで降ろすと、3次元の立方体が浮かび上がる。伊野田は口元を少し吊り上げた。
 ユキルにとっては、伊野田が「ただ見ているだけ」の状態にしか見えなかったのだが、声をかけようとしたとき、彼は声をあげた。空に、突如、透明でいびつな立方体が浮かび上がっているのだ。弾丸はいまも、その中をこちらに向かって飛んでいる。伊野田は、ヨシ、とつぶやいて瞳を閉じ、数秒待っている。何を待っているのかユキルには分からなかったが、再度見上げると、弾丸は、もう少しで立方体を突き出そうなところまできている。はやる気持ちを抑えて伊野田に視線を送ると、彼はいつのまにか瞼を持ち上げ、その瞳を立方体に向けている。そして、右手を上げた瞬間。

 向かってくる弾丸が、向きは変えずに上空に跳ね上がったのだ。いや、違う。立方体自体が空を切り取り、浮上したのである。続けて伊野田は、何かを押し出すように、勢い良く、右手を前方に突き出した。すると、浮上した立方体がそれにあわせて、遠方に飛ばされていくのである。それはジェット機を通過し、その調度背後まで押し流されたあと、四散した。切り取られた空と、移動させた部分の空がそっくりそのまま入れ変わっており、雲の形が、ズレて変わっている
 弾丸は、さきほどと変わらず直線で、こちら側に向かっている。ユキルがあっ、と思った頃には、そのペイント弾は、自ら発射されたジェット機に標的を変えて、飛び込んでいったのだ。

 伊野田が得意げな顔でユキルを見ると、彼は唖然としたまま、口を開けていた。だが次の瞬間、夕日とは別の光が、わずかにこちらまで差し込んだ。もう一度空を見ると、驚いた事に、ジェット機が爆発炎上しているのである。
「あれ?」
 とぼけた声をあげる伊野田にすかさずユキルが口を開いた。
「実弾じゃないですか!」
「おかしいな、予定ではこんなはずじゃかなったのに」
 ユキルはその場にうずくまる。なんだかとてもやっかいなことに巻き込まれたのではないかと、いや、もう随分昔から、やっかいなことに首を突っ込んでいたのではないかと思いながらため息を付いた。粉々になって森へと四散するジェット機を横目に、魔術師を見せてくれた伊野田を一瞥したが、どこにでもいる普通の青年にしか見えず、無線を口に当てながら誰かと連絡を取り合っている。どこか緊迫している雰囲気である。ユキルは目を閉じた。

『夢じゃ、ない』
 ユキルがそう口にした瞬間、彼の思考は一気にクリアになり、途端に目が覚めた。これまで持っていた夢や現実という言葉の定義が剥離して、分解してゆく。
 そしてこの場所この世界が、たったいま、ユキルの現実になった。


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 続き書けるかな、と思って、ケータイでポチポチ打っていたら2000文字近くできたので、PCで直しつつの更新です。

 今回は、TOKINOイチオシキャラクタである、伊野田さんが登場しました。と、いうより、登場させました。どうしても魔術を使う描写を書いてみたかったので、不意に長くなりました。
 伊野田さんは、本当に大好きなキャラで、この記事内では、ユキルくんを完全に追いやってしまってます。大丈夫か主人公。しゃきっとしなさい。

  また、勢いなどで、この小説の続きがあと2本くらい書けたら、連載はじめても大丈夫かな、続けられるかな、と思いました。
 ちなみに、サーゲイト城とかいってますが、これってFF5のお城じゃなかったかしら。
 勢いあまって書いちゃいましたが、本公開時には別の名前に直して公開しようと思います。
 どんな名前がいいかな。お城。


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【2008/07/25 15:54】 | 言葉『創作とは妄想だ』
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伊野田さん、いいですね
倉田やえこ
かっこいいような、味のあるような。
彼のことが気になります。
魔術のことも、あと文字のことも。
だんだんと、欠片があちこちにちりばめられていて、
早く続きが読みたくなります◎

お城の名前は、カタカナがいいと思います☆ってあたりまえかしら?;(笑)
これで『小田原城』とか来たら笑いますもんね。
でもなんかその、カタカナの外国っぽいお城に、ごく自然にいる伊野田さん、っていう、
ありえなくはないけど微妙にミスマッチ感がとても好きでした◎


やえこさんへ
TOKINO
レスおくれてすみませんっ。
伊野田さん、いかがでしたでしょうか。
もっと魅力を伝えたいTOKINOです。

お城の名前、ほんと困ってます(笑)
イメージでは、中世に建てられて現代に残っているお城なんです。
小田原城って、殿がいそうですね(笑)
そして確かにミスマッチ。
でも気に入ってくださって、ありがとうございます。

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 ユキルには、子供の頃から自分にしか読めない文字があった。

 記号といっても通用する。どこの地域にも属さない、まるで子供の落書きのような型どりを、彼は解読するのだ。ユキルは、スポーツは得意だが特に優秀なわけでもない。もちろんこの文字だって古代文字だとかそういう類いではない。何度も言うが、誰が見たって、書きなぐりの、捨ててしまうようなゴミ並みのそりゃあひどい「文字」なのだ。
 
 例えるならバーコードやTVの砂嵐が近い。あとは学友に借りたノートの汚くて読めない文字だ。中にはナスカの地上絵やミステリーサークルのような形をした紙きれもあって(当時のユキルはそれが七不思議とは知らなかった。あたりまえのことだと思っていたからだ)、叔母から貰ってきたそれを読むユキルを、その時だけは両親は良く思わなかった。

そんなわけだから、いくらユキル本人が解読した文字を両親や友人に話したとしても誰も信じなかった。山の上のお城とか、扉の向こうの洞窟とか、記された通りのことを話しているのに、誰もが耳を傾けないのだ。
 はじめのうちは、両親は頷きながらユキルの話を聞いていたが、小学校の高学年になってからは、両親は返事をするだけで話をまともに聞く事はなかった。ユキル自身も中学生になったころには、世界の七不思議とかという、ミステリアスな存在を知っていたのでむやみやたらに解読した文字を話すのはやめた。そもそも、現実に存在するミステリーだって日常生活に関与することはほとんどない、ということに、このときユキルはやっと気付いたのである。

 しかし、これまでのことがあって同級生やご近所さんには変な目で見られてしまうようになったため、ユキルは両親に、文字解読を禁止させられた。ユキル自信、友達も増えないし、近所の奥さんにヒソヒソ話をさせられる両親を思うと、いままでは楽しかった文字解読が急にやましくなったのだ。

 それからユキルはいたって普通の少年を演じた。(はじめから普通の少年なのであるが)叔母は相変わらず、文字が印字された紙切れを持ってくるが、ユキルはどこか叔母を避けていた。だが叔母はそのそぶりを察してはいたものの、相変わらず、若々しい笑顔で過ごしていた。
 数ヶ月ぶりに家族で叔母の家を訪れた時、彼は久しぶりに文字を読んだ。図形の羅列のそれは、ユキルの頭の中でパズルのように組み立てられた。まるでRPGをプレイしているような感覚が好きなのだ。話のできない叔母に読み聞かせてやると喜ぶので、たまにはここに来ようと思った。このときの文字や記号にはユキルの好きな地上絵の妖精に似ていたから「妖精文字ですね」と言ったら叔母はにこやかにペンで「惜しいわね」と書いた。

 3年生になって受験勉強に力をいれなければならなかった時から、叔母とは全く会わなくなったけれど、変わりにTVの砂嵐を彼は見ていた。リモコンを握り締め、足音が聞こえるとすぐさま人間が写る番組に切り替えて無理やり笑った。砂嵐はユキルにさまざまな情報を与えた。時にはRPGのように、小説のように、ドキュメンタリーのように、説明書のように。

 ある日叔母が死んだ。受験日当日に出棺をしたので最後まで叔母には会えなかった。ユキルは悔やんだ。高校生になってすぐ、叔母が住んでいた家を片付けていた時にそれは起こったのだ。

「ユキルー? ちょっとおかーさん手伝って」
 母は1階の居間にでもいるのだろうか。距離があるためくぐもった声がかろうじて聞こえてくる。
 かび臭い地下室にいたユキルは、どんよりとした空気を跳ね上げるように、思いっきり大きな声を張り上げて返事をした。人手が足りないならイトコの家族も呼んでくればよかったのに、という苛立ちの現れだった。ただでさえ今日は友達と飲み会(アルコールは飲めないが)だったのにキャンセルしたんだ。虫の居所が悪いったらありゃしない。
少しふて腐れながら、わざと足音をたてて階段をかけあがった。母は階段を上がって右奥の、広いダイニングキッチンに居た。
「なに?」
「あっ、ユキちゃん」

 母の顔を見た途端、やれやれ、とユキルは思った。母がユキちゃんと呼ぶときはたいてい何かしらのお願いをするときで、さらに声が浮わついていると、母はいつも申し訳なさそうに口を開くのだ。それはどこか、付き合った女の子がはじめて自分にお願い事をするときのまさにその顔で、この母親は未だにそれを使ってくるのだ。

 いや、仕方ない、と思って、ユキルは子供心を落ち着かせて母に向き合った。少しだけ伸びてきた黒髪を空気に晒すように掻き乱した。
「どーしたの? おかーさん。箪笥、動かすの?」
「箪笥じゃないの、ゴキなの」
「ゴキ?」
「そう」

 あまり察したくないが母親の表情で脳みその80%は理解していたのだが、理性の20%が拒否をしている状態だった。ユキルは唇を噛みながら、母親が両手で握っているスリッパを見た。あんまり強く叩いたのかつま先部分がしなっていた。
「ゴキブリ」
 一言、やたら早口で息子にそう継げてからスリッパを渡した。コマ送りのように素早くなめらかにドアの影に隠れた。バトンタッチと言う事か。彼女はドアを楯にしてこちらを見つつも、ジェスチャで合図を送ってくる。……向こう…下……え? ……キッチンね。うん……叩けって? コレで?
 右手を何度も振り上げる母を背に、弱ったスリッパ片手にキッチンへ向かった。がんばれ剣道部、おかーさん、信じてるわ。と声が聞えた。「信じてるわ」? 女はみんな、そーいうんだよ。
 ユキルは正直、虫が苦手だ。昆虫ならまだしも、風呂場で遭遇したムカデや通学途中のハチ、もちろんゴキだって苦手なのだ。どうして男は汚れ役なのだろうと思いながらも、ユキルは静かにテーブル周りをぐるりと回った。叔母さんは掃除をあまりしていなかったのかと、今になって思う。人間だれしも蓋を開けてみなければ分からないものである。

 キッチンの棚を空けてみたりしたものの、黒いフォルムのヤツが見当たらないので、こちらからヒョイと顔をだし、母に向かって両手で×サインを出すと、母は目を丸くして首を横に降った。自分はいったい何をしているんだと思いつつも、続けてWhatのサインを出すと、同時に母が悲鳴を上げて、ユキルの斜め後ろを指差した。驚いたユキルは、振り向きざまに黒光りの高速移動物体を見つけ、身体を捻りながら勢い良く右手に持っていたスリッパを投げつけた。弾けるような音を発するも、それは移動を続け、ユキルの足もとをくぐりながら、なんと地下へ消えてしまった。

 ユキルがお手上げの表情を作って見せるも、母は握りこぶしでゴーサインを出してきた。マジかよ。と言葉を漏らしつつも、様子を見るという名目で地下に降りた。先ほどまで自分自身も地下室に居たが、黒いヤツと同じ空間にいるとなると、それだけで気持ちが悪くなった。下るほど強くなるカビの臭いが、追い討ちをかけた。階段を下りきる前に、広い地下室を眺めるが、ここから探して退治するのは苦難だと思った彼は、そのまま再び1階の母へと向かって叫んだ。
「おかーさんー!」
「なぁーにぃー」
「ちょっとさぁーー!! 広くて無理だからーーーー!」
「おかーさん、信じてるからー!」
「無理だからぁーーーー! 俺バルサン買って来るから」
 そう言いながらゆっくりと階段を昇った。
「バルサン買ってくるからさ、焚いてからにしよう。それからのほうがいいって」
「わかったわ!」
 相変わらずドアにくっついている母は、また早口でユキルに喋りかけた。言われる前に、というやつだ。
「じゃあおかーさんがバルサン買ってくるから、ユキちゃんは見張り! お願いね!」

 そう言って、エプロンを外したお出かけモードに颯爽と切り替え、叔母の家からコンビニまで旅立ってしまった。ありゃ、すぐには戻ってこないと察したユキルはため息を付きながらも、工具入れからスパナを取り出し(バットがあればもっと良かった)地下へと続く階段に座った。窓からゆっくりと風が入り込み、穏やかな情景を作り出している。叔母は一体、自分にくれたあの紙切れをどこから持ってきたのだろうという疑問が、このときユキルの脳裏に閃いた。いままでだって、不思議に思っていたけれど、解読する方に夢中になっていたので、特に気には留めていなかった。今度ゆっくり聞いてみようと思っているうちに叔母は死んだ。

 ふと、ユキルの瞼に、叔母が会話用に使っていたスケッチブックの存在が焼きついた。そういえばあれはどこに行ったのだろうと思い、母が帰ってくるまで探してみようと思ったのだ。叔母の死後、両親にはもちろん、妖精文字については訊く事ができなかったのでチャンス到来だと思った彼は、家中を歩き回った。2階に上がり、失礼しますといいながら書斎へ入った。そういえば書斎になんて入るのは初めてだった。この穏やかな家に似つかわしくない重厚なデスクに、艶やかな本棚がそこにはあった。デスクの引き出しを勝手に開けるのはさすがに気が引けたが、プレゼントの中身をゆっくりと確かめるような気持ちで、取っ手をゆっくり引いた。重く軋んだそれには、どれも分厚い本や紙切れがたくさん詰まっていたが妖精文字で書かれたものはなかった。外国語で書かれた書物がぎっしりで、ユキルにはこれが読めなかった。不思議な気持ちになった。
 ほんの少し後悔して書斎を後にした。さすがに寝室には入る気がせず、ユキルは再度、地下へと下ってみる事にした。地下という響そのものが秘密のイメージをかもし出している気がしたから……というのはこじつけで、単に女性が住んでいた家の中を一人で調べるのが嫌だったのだ。地下室ならば、何かを隠したりするのに定番の場所だし、母に地下も任せられていたので自分自身にOKサインをだして下った。

 はじめはつま先で立って歩いていたが、さすがにゴキは移動したであろうと思い込んで、4歩目からは強く踏み込んだ。古い木製のテーブルと椅子が転がり、その引き出しは先ほど調べたのだが、母の探し物すら出てこなかった。クロゼットを開く前に、横転している小豆色のソファを通過したところでユキルは足を止めた。なぜこのソファだけ横に転がっているんだと疑問に思ったユキルは、その大きなソファを正常な向き、つまり座れるように立て起こした。すると驚いた事に、起こしたソファの側面にはユキルが読める文字が刻まれていたのだ。
 心臓が一度大きく撥ねた。その、くさびのような文字に両目を這わせて、ユキルは解読した。
(……リビング!! ……右棚の上、トロフィー横の証書ファイル ……founder(?) …ユキルへ)

 感嘆と畏怖が交差した汗が身体から染み出て四散すると同時に、ユキルはリビングへと駆け上がった。文字通りに証書ファイルを手に取り、4冊目で手を止めた。
 金で縁取られた証書は、立派な作りで、それだけは紙が分厚かった。タイトルは妖精文字ではなく日本語で「導きの書」と刻印されていた。その以下に続く羅列を解読した後に、ページをめくり、彼は硬直した。
 目が、勝手に動くのだ。

 「導きの書」の表紙には、こう記してあった。
 『これを手にし、解読し、理解する少年へ。今、きみはページをめくる事になるのだが、すると不思議なことに、書を最後まで読まなければいけなくなる。この文章に驚いているきみであるが、もう魔術の効力は発揮されている。きみはページをめくる』
 ユキルの手が自分の意識とは関係なく動き、ページをめくっていた。
 
 『きみは、きみの脳裏には、いままで読んできた、いわば妖精文字の内容が焼きついているであろう。きみが解読した内容はすべて、再現され、構築されている。』
 
 『それらはすべて、わたしが指定した場所に、実際に存在している。きみはそこに向かうことが決まっている。なぜならきみは、きみが妖精文字と命名した、我らの文字を読める唯一の存在』
 
 ユキルは肩で呼吸をし、パニックになりながらも、それを読まされていた。普段ならわくわくするはずの解読が、いまでは恐怖に変わっていた。投げ出したくてもそれができない、そんな焦りや不安が彼を取り巻いた。書は続ける。

 『もうすぐきみのまわりをつなぐ扉が遮断される。きみは驚くだろう。恐れているだろうが、これはすべて、この魔術により定められしこと。それは不定だ。きみは全く納得がいっていなだろうから、自分のめで確かめるがいい。そして、きみの妖精文字を最後まで読み解くがいい』

 扉が、窓が、音を立てて激しく閉じられると、そこからはまるで光速のように、ユキルの足場が切り取られ、ガラスの破片のように消失した。まるで落とし穴にはまったような格好で、落下感に苛まれながらも必死に手を伸ばすが、抗いきれずに意識ごと暗闇の園へ落ちていった。



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すごい勢いで、洪水のように溢れてきました。
どんどんこぼれるので拾い集めるのが大変でした。

もともと、この『The Founder』をメインにやっていこうとおもっていたこの小説ブログRaymondですが、冒頭から、出会いにかけてまったく浮かばなかったので、冒頭が定まっていた『after six』に先に登場してもらったのです。

そんななか、突然Founderの冒頭が出てきたので、書いてみた次第でございます。
この続きが公開されるのは、おそらくずっと先だと思うし、本公開になったら冒頭すら変わっていると思うけど、なんだかとてもトクした気分であります。

すごい現代的なファンタジーを目指して書いているものです。
本公開まえだから書けることですが、主人公のユキルくんの場合は、「読むと勝手に効力が発揮される魔術」で無意識に魔術を使っちゃってたことになります。本人だって知らなかったんですから、迷惑な話ですよね。

勢いあまって書いたので誤字あるかもしれませんが、そのときはスミマセン。

以上、こういう小説もいずれ書くよー、っていうコーナーでした。
『after six』本編も、お楽しみに☆


TOKINOより


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【2008/07/20 02:17】 | 言葉『創作とは妄想だ』
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倉田やえこ
ファンタジー☆
内容ももちろんですが、その文章のすごさといったら。
「例えるなら…」「そんなわけだから…」「しかし…」「それから…」
ぐんぐん取り込まれます。
続きが読める日を楽しみにしています◎

ありがとうございます
TOKINO
 コメントありがとうございます!なんだかこういうのってフっと浮かんでくるものなんですね。もっとぐんぐん、みなさんを引き込めるように、更新していこうと思います。
冒頭が書けたから、これも早めに連載、できたらいいな。

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 夜の10時。ライブハウス兼バーの2階ラウンジで、僕は久しぶりに呑んだ。たくさん呑んだってことだ。


 身体も心もアルコールに浸し、夢の世界へ入る。あまりこっちの世界に来ると、戻ってきたときのギャップにへこむので普段は我慢している。しかし今回はストレスも溜まっていたのか、歯止めが利かなかった。たまにはいいじゃないの、と言い聞かせてみた。


 お酒と音楽の相乗効果は想像以上だった。リズムに合わせて鼓動が早くなったり遅くなったりしているみたいなんだ。ボサノヴァがいいね。沁みるね!


 夢の世界で僕は、同じ世界に入り込んできたキナミ、高梨さん、中川とはしゃいだ。キナミはともかく、あの二人までネジがかっとぶなんて。おかなしな表現だけど、これは夢? とまで思った。丸いテーブルを囲んで笑いあう光景はどこか懐かしく、ほろ苦かった。どうでもいいようなことで小突きあったりしているのが、こんなにいいものだということを忘れていたみたいだ。


 アルコールってのも面白い。身体に注ぐと、その人特有のスイッチが入る。キナミは笑いが止まらないし、中川は高梨さんに抱きつくし、お酒はこぼすし。僕は僕で中川と踊りだすし。高梨さんはそれをみて笑うし。この人こんなに笑うんだ。


 1階席でバンドのセッションが始まった頃、注文したピザが届いたので今度はそれの取り合いになった。みんな大人げないよね。焼きたてのピザは、湯気と一緒に香ばしい生地と、ソースのにおいが立ち込め、僕たちの胃を刺激した。中川がフォークを使ってもまともにとりわけ出来なかったから、高梨さんが奪い取って、お皿に取り分けた。ミートソースが物凄い深い味わいで、僕は感動した! 感動した! タマネギも甘い! うまい! おかわり高梨さん! キナミ自分のを先に食べろ! 中川くっつくな! …………。


 店を出たとき、僕は立てなくなっていた。キナミと高梨さんに、まるで保護されてるみたいに、肩を借りている。なんでだろう? 中川さんと高梨さんはとっくに酔いが覚めていると思う。うっすらと、視界からみんなの足取りが見える。


 僕はまだ夢の中。


 そこで、とっくに現実に帰っていったみんなを探して、語りかけている。自分でも何を言っているのかわからない。僕が何か言うたびに、背中をさすられる感触を覚えた。中川だったのかな。結局、ピザを食べた後の記憶が吹っ飛んだまま、僕は自分のベッドで目を覚ました。


 起き上がる。しばらく夢が頭に貼りついたままだった。画鋲で留められている感じだった。次第に空腹を覚え、昼の13時だってことを知って納得する。そう。納得していないことと言えば……。


 僕はハっとした。どうやって家に帰ってきたのだろうか。膝に違和感を感じたのでパジャマをめくると(パジャマ? いつ着替えた?)湿布が貼ってあった。台所に行って水を飲み、思考を確保。普通に歩けるから、膝はたいした事はないらしい。高梨さんにはなんとなく聞きづらいし、キナミは絶対寝てるから、中川に電話した。


「なに?」

 ちょっとイラっとしているいつもの声に、プラス3イライラってところ。

「二日酔い?」

「うっさいわね。こっちは二日酔いでも働いてるのよ。何!? 切るわよ」

「なぁ、僕、どうやって家に帰ったんだ?」

 受話器からため息が聞える。

「あんたねぇ。覚えてないのね」

 落胆が消えて、硬質な声に変わる。

「ベロンベロンに酔って店を出た後、あんた階段から転がり落ちたのよ。全身打って。膝で着地してそのままポックリ。あら失礼。それで歩けなくなったから私たちが送ったのよ。メモ書き、見てないのね?」

「へ?」

「あとで見なさい。……高梨が持ってるマスターキーで鍵開けて、木南くんが担いで寝かせて、高梨が湿布貼って、私がカーテン閉めて、……って上がってごめんねぇ。ていうか、カーテンくらい閉めてでかけなさいよ」

「いや、問題ないよ。そうだったのか。ありがとう」

「まったくよ。二人にもお礼言っときなさいよ」

「あぁ、わかってる。じゃあ」


 そう言って僕は受話器を耳から遠ざけた。その時、中川が呼び止めた。

「ん?」

「あんたさ、店出た後のこと、ホントに何も覚えてないの?」

「え?」

 一瞬だけ、脳みそが凍った。どんなヤバイことを仕出かしたのだろうかと思った。


「何喋ったのかも覚えてないの?」

 変な汗が吹き出た。そんなにヤバイ事を喋ったのか。

「僕、何を喋ったの?」

「そう。覚えてないなら問題ないわね。もう、こういうことで電話かけてこないでね。じゃ」

「ちょっと! 気になる事言うなよ! あ! 待て!」


 僕が言い終わる前に、とっくに電話は切れていた。腑に落ちない気分で僕も受話器を置いた。キナミにも電話してみようかな、という考えが頭をよぎったけど、やめた。とりあえず、なにか食べよう。





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『In The Dark』



地味にシリーズであと2作、別タイトルでありまして。

主人公もそれぞれ3人いまして。

その3人が語っていくお話なのです音譜



今回は、その断片を載せました。

あー、これもちゃんと書きたい。ストーリーとかちゃんとしたい。

不思議ミステリーです。

ミステリーの定義がわかりません。

謎があればミステリーでいいんでしょうかはてなマーク



この主人公の僕は、名前は出てないけど、叶くんという人物であります。

お酒が飲める年齢と思ってください。

高梨さんは、兄貴的存在。

中川は腐れ縁。

キナミは弟みたいな感じです。






このシリーズを書くときはたいてい宇多田ヒカルを聴いてます。

宇多田さんの曲って不思議なことに、いろんな世界にマッチします。

after six書いてるときは、stay goldとか良く聴いてます。


関係ないけど、アフターシックスと、映画アフタースクール。自分でも間違えます。



語りだすと止まらないので、このブログでこのシリーズが公開できるようになったら、小説で語らせていただきます。できたらいいな。


【2008/06/16 02:29】 | 言葉『創作とは妄想だ』
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 夜が全てを包み込み

 月のシールで封をする

 朝は 太陽のナイフで

 そのメッセージを 開く


   ………




 僕の誕生日祝いに、安藤が買ってくれた絵本の裏表紙の文だった。



 僕はいつも忘れたころに、この絵本を開く。

 例えば、部屋の模様替えをしている時、とかね。


 そういう時は大抵、作業が中断してしまう。

 ひっぱりだしてきた雑誌やら漫画やらを手にとって眺めている内に、作業を忘れてしまうのだ。


 今も、僕は模様替えを中断してしまった。

 箪笥が中途半端に斜めを向いている。整理しようと思って床に分けておいたCDや、積み上げた本は、気が付いたら崩れていた。

 僕は絵本を片手に窓際に進み、カーテンを開けた。何か踏んだ。

 ずっと遠くに、鈍く光る月が光っていた。窓を開けるととたんに冷気が入り込み、鼻の頭がキュッとなった。


 なんとなく懐かしい気持ちで、僕は眺めた。虫が入ってきた。慌てた。





 あの日。


 僕と安藤は、会う約束をしていた。寒い時期だった。マフラーを口まですっぽり巻いた。

 久しぶり、というには期間が短いし、気軽な挨拶で済むほど、会っているわけではなかったから、少しだけ気まずかった。


 待ち合わせ場所で、僕に声をかけた安藤は、髪が伸びていて、肩のラインを超えていた。前髪も目の上までに切っていたので、初めは誰だかわからなかった。僕が目をパチクリさせたみたいだから、安藤はそれを見て笑った。会ったときに話そうと思っていた内容は、とたんに溶解して、四散してしまった。


 僕たちはひとまず、カフェにでも行こうかという話をし、あのころしょっちゅう行っていたカフェに行った。

 薄暗くてソウルミュージックが流れている、大きな吹き抜けが特徴の店だった。いつも静かだったから、よく行っていた。


 オーダーしたドリンクで、乾杯をした。何に乾杯したのかはわからなかったけれど、彼女がグラスを掲げたから、流れでグラスを合わせた。複雑な気持ちになった。一口飲んでから安藤が口を開いた。


「なんか緊張するね」

「うん。よかった。僕だけじゃなくて」

「あなたも緊張するのね」

「いままでだって、してたさ」

「初めて会ったときに、似てるね」


「初めて会ったときかぁ」

 そう言いながら、高い天井に視線を這わせる。

「あなた、私の鞄から落ちた携帯電話、踏んじゃったのよね」

「そうだっけ?」僕は本当に驚いたから、彼女は少し、頬を膨らませた。そういった仕草は昔となにも変わっていない。

「そうよ。今日みたいに寒くって、夜だったの。私の鞄から電話が落ちちゃって」

「あ」

 僕は、脳の隅っこで見つけた記憶のかけらを、ひっぱりあげた。あの時、バリンという音をたてて、安藤のディスプレイが割れる音が足もとから聞えたのだ。月明かりでそれがようやく見えた。


「あれは緊張っていうより、焦ったよ」

「あなた、冷や汗だらけだったわ」

「本当にどうしようかと思って、とりあえず二人でショップに行ったんだよね」

「そうよ。私、カンカンだったわ」 そう言って笑っている。彼女は鞄から携帯を取り出して見せた。

 ウエイターがやってきて、グラスに水を注いだ。


その時に機種変更をした携帯電話だった。真っ黒の携帯から、真っ白な携帯に変えたのだ。

安藤は壊れたデータの復元ついでに僕とアドレスを交換したのだった。でも、そのあと、僕が安藤にあげた、クリーナー付きのストラップはもうついていなかった。汚れたのか。それとも。


「あのときは、私、なにをしていたんだっけ」

 安藤が首を傾げる。そのまま、頬に左手を添える。薬指が光る。僕は無意識に目をそらす。

「たしか仕事帰りで、雑貨屋に行くって」

「そうだわ。プレゼントを買いにいったの」

そう言った安藤の目が、ますます大きく見開かれた。僕が問いかけると、安藤は満面の笑みで、雑貨屋に行きたいと言い出したので、僕は了解した。次に行く場所が決まってなくて、実は困っていた。


 少ししてから、フードメニューが運ばれてきた。僕はパスタ。安藤はリゾットだった。食事中は、ほとんど無言に近かった。安藤がリゾットをふーっと冷ますのに、息を吹きかけたら、米粒がひとつ飛んだ。それを見て笑った。


 食事のあと、グラスの中身を飲み干してから、僕たちは勘定を済ませた。席を立つ際に、彼女が僕に二千円をテーブルに滑らせてさし出した。僕は、首を横に降ったけれど、安藤はさらに首を横に降ったので、今度は僕が首を縦に降った。

 ごちそうさま、と行って店を出て、歩いて駅まで向かうことにした。寒かったけれど、十分もかからないで到着する。


 安藤は明らかに寒そうにしていたけれど、僕はマフラーを貸せなかったし、手もつなげなかった。安藤はポケットの中で手を繋ぐのが好きだった。それを思い出して。僕は自分の手を、コートのポケットに入れた。安藤は鞄から手袋をだした。

「キレイだね」

「ん?」つられて僕も見上げる。

「月」

「めずらしいね。赤い」

「うん。赤い。太陽みたい」

「月は太陽の光で輝いているのに、どうしていつもの月は黄色なんだろうね」

「そういえばそうね」

 安藤は少し、考え込むそぶりをしたけれど、すぐにそれをやめて僕に別の話題をふった。少し、無理をしているかもしれない。気のせいだといいけれど。


 ビルの自動ドアを抜けると、一気に暖気が押し寄せた。僕はすぐにマフラーを取って、コートのボタンもあけた。安藤は髪を軽く手櫛でとかしてから、僕のほうへ向き直り、エスカレータへと促した。早く、というふうに僕の腕をとったから、僕はあの時、手を繋いでしまえばよかったと、後悔した。

 何フロアか見て回ったあと、五階にある雑貨屋へ向かった。


 レトロな飛行機やら、アンティーク用品やら、クッションやらメモ帳やらが、たくさん並べられてあった。大抵の男はこういうのが苦手みたいだけど、僕は嫌いじゃなかった。見ていて面白かったし、ここで良くカップやステーショナリーを揃えているからだ。会社の同僚からは、なかなか評判がいい。

 安藤は、僕をそっちのけで店内を見ていた。僕もちょうどボールペンが欲しかったので、ステーショナリーのコーナへ向かった。定規や電卓を手にとりながら安藤の姿を探すと、安藤は本のコーナを見ていた。しゃがみこんで何かを選んでいる。ペンを手に取り、そちらに向かうと、タイミングよく、安藤がこちらを振り向いた。


「これにするわ」

 そう言って僕に見せたものは、小さな絵本だった。パスポートサイズで、真ん中に子犬の絵、その上に太陽と月が描かれてあった。シンプルな絵柄だった。帯は付いていない。いい本だろうなと、僕は思った。

「買おうか?」

「だーめ」

 小さな子供が自分のおもちゃを誰にも貸さずにいるような顔だった。僕の手からボールペンも取っていき、安藤はレジに向かった。店の外で待っててね。と言って。

 とりあえず、店の入り口付近においてある雑誌に目を通して待っていた。輸入雑誌と女性誌ばかりだった。究極の恋占い、とか、結婚は30歳がベスト、とか見出しが書かれてあった。なんとなく気になって手にをろうと思ったら、満面の笑みを隠した顔で、安藤が出てきた。


「ボールペンはいくらだっけ?」

 僕の質問を無視しながら、安藤は、袋からさっきの絵本らしきものを取り出した。チェックの包装紙と赤いリボンが付いていて、それを僕に両手でさし出した。なんとなく青春時代のバレンタインを思い出した。

「ん?」

 僕が声と一緒に疑問符フラグを掲げると、彼女は疑問符を驚嘆符で返してきた。疑問符の会話にしびれをきらしたのか、安藤が声をあげた。

「もうすぐ、あなたの誕生日じゃないの」

「ああ!」

「どうして、もう、昔からイベントごとは忘れちゃうんだから」

「安藤の誕生日は忘れた事なかったじゃないか」

「1回だけ忘れたわ」

「そうだっけ?」

「忘れたことも忘れたのね」

「忘れた」

「もう」


 僕たちは笑いあった。そして僕は安藤のプレゼントを受け取った。お礼を行って、近くのベンチに座った。中身はわかっているけど、包み紙を開くのはとてもわくわくする。いくつになってもだ。どうしてだろう。僕は紙をやぶかないように、慎重にセロテープをはがしていった。ぺりぺり。ぺりぺり。べりぺり。

 安藤も中身を知っているくせに、どこか嬉しそうにそれを眺めている。

 包みを開くと、さっき僕が選んだボールペンと、安藤が選んだ絵本が出てきた。僕たちはさっそくそれを読んだ。


 主人公の子犬が、月の妖精に導かれ、冒険をするというストーリーだった。絵本に出てくる月は赤みが強い色だった。子犬は都会のビルを飛び越えて森に入った。すると、月の妖精はいなくなり、太陽の妖精が姿を現す。子犬のビックリ顔が描かれる。物語はそこで終わった。次巻に続く。


「シリーズだったのね」

「え? 知らないで買ったの?」

「最後まで読んだら、あなたが読むときに、ドキドキしないじゃない」

「つづきがあるのか」

「気になる?」

「少し」

「私、買おうかな」

「いつになるかな」そう言いながら本をひっくり返すと、詩が書かれていた。



     夜が全てを包み込み

     月のシールで封をする

     朝は 太陽のナイフで

     そのメッセージを 開く



「これ、いいよね」安藤がそう言って、僕の手から本を持っていく。安藤は詩を凝視する。安藤のぶん、僕が買おうか、と言おうとしたら、安藤は、本の巻末から何か取り出した。

「なに?」

「シールが挟まってる」

 月のシールと太陽のシールが挟まっていた。両方のシールに子犬も居た。

「コレ、かわいいなー」

「あげようか?」

「え?」ニヤリと、安藤。しかし、それはすぐにひっこめた。

「シール、あげようか」

「いいの?」

「いいよ」

「太陽がいいな」

「なんなら、両方でもいい」

 そうすると、安藤は首を横に降った。

「これだけでいいわ」

 そう言って、嬉しそうに自分のスケジュール帳にシールを挟んだ。月がモチーフの手帳だった。

「めずらしいね。月のほうが、好きだと思ってたけど」

「バランスも考え出したの」

「バランス?」

「そう。大事だと思うの。月の次は太陽。黒の次は白」

「白の次は?」

「ええと」

 安藤はこめかみに人差し指をあてて考えた。

「灰色」

「混ぜただけじゃないか」

「あなたは?」

 急に、まじめな顔で安藤が僕を見た。

「次は?」

 (なんの次だろう)

 僕が困っていると、安藤はおどけてみせた。


「そろそろ、ビル、閉まっちゃうね」

「……ああ」

「行こうか」


 僕たちは立ち上がり、アナウンスがかかったビルのエスカレータを下った。

 1階で、僕はトイレに寄らせてもらった。安藤は行かなかった。僕の荷物を預かってくれた。ビルから出ると、まもなくシャッターが下りて、上階の飲食店以外は閉店した。

 駅構内の切符売り場で僕たちはベンチに座り、電車を待った。あと20分。


「愛知って、遠いね」

 僕は半ば無意識につぶやいた。

「遠いね」

 安藤が復唱した。

「いつ、引っ越すんだっけ」

「あと4日」

 そのあとにため息が続いた。僕は続ける。

「今日、会って、安藤変わってて、びっくりしたよ」

「あなたは全然変わってなくて、びっくりしたわ」

 まるで懐かしむように、安藤は笑った。僕は安藤に荷物を預けていたことを思い出して、再度受け取った。指輪がまた、目についた。

「キレイだ」

「うん?」

「指輪」

「ありがとう」

「式には行けないけど」

「いいの。遠いし」

「富田さんの、実家?」

「そう」

「元気でやってる? 富田先輩」

「ずっと元気よ。変わらない。きっと想像の通り」

「ほんとう? きっと賑やかで楽しいだろうね」

「ええ。 ふふふ」

「何笑ってるのさ」

 口元に手をあててそんな笑い方をするなんて、安藤は明らかに上品になっていた。なんだか別の人と話ているみたいな錯覚があった。何度も名前を呼びたい衝動に駆られたけれど、それは飲み込んだ。

「あなたとヒロのピンポンダッシュのこと」

「おいおい、思い出さないでくれる? そんなの。醜態だよ。一種の。やめようよ」

「あら、あなたがヒロの話題をだしたのよ」

 僕はわざと口をつぐんだ。安藤はそんな僕をみて、にこやかに笑った。

 

 あと10分。僕はマフラーを安藤に巻いた。もともと彼女に貰ったものだった。

「大丈夫だよ。寒くないよ」

「いいから。巻いていって、風邪引いたら先輩に怒られちゃうよ、僕が」

 そんなことない、と言いながら安藤はマフラーの中に手をつっこんだ。鼻のあたまが赤くなっていて、突っつきたくなったけれど、やめておいた。


 僕たちは切符を買った。それぞれ違う方向の切符を買った。改札を通り、ホームの分岐点まで並んで歩いた。僕は胸が少しキューンとなった。そこで向き合った。


「気をつけて」

 安藤が頷いた。

「風邪、ひくなよ」

 安藤が笑った。

「TOYOTA、買えよ」

 安藤が、ハイブリッド、と答えた。

 僕が、コートの襟をたてながら手を振ると、安藤が口を開いた。

「祐樹、次は、もっといい人に会えよ」

 僕の口調を真似した、昔の言い方で言葉を残し、安藤は僕に背中を向けた。

 

 僕の手元には、昔の彼女の残像と、誕生日祝いだけが、残った。






 僕は家に帰ってから、絵本とボールペンをもう一度、取り出して眺めた。

 すると、開封した覚えもないのに、ペンのシールが取れていた。

 おかしいな、と思って、キャップをあける。さして問題はない。

 とりあえず、絵本をぱらぱらめくり、それから本棚にしまおうとした時だった。

 背表紙の詩が、目に飛び込んできた。



   夜が全てを包み込み

   月のシールで封をする

   朝は 太陽のナイフで

   そのメッセージを 開く


      

             ありがとう



 僕は眩暈にも似た虚無感を覚えた。いや、違う。脱力した。

 あのとき、そうだ。安藤が付け足したのだ。

 ずるいよ。

 僕だって、もっと言いたかったよ。ありがとうって言いたかったよ。

 どうして言えなかったんだよ。

 ずるいよ。


 

 僕は、なんとなく、夜空を見上げた。先ほどより高い位置にある月を見つけた。最後の言葉を心の中で僕は何度も唱えた。そして僕は絵本と、迷ったけれどボールペンを、机の鍵つきの引き出しに閉まった。

 子供の頃、鍵つきの引き出しは宝箱だった。

 大事なものはすぐに、引き出しにしまい、鍵をかけた。

 そして鍵をなくし、忘れたころに姿を現す鍵を使って、引き出しを開けた。

 それを何度も繰り返していた。


 安藤との思い出も、鍵をしまって閉じ込めておこう。鍵をなくしたとしても、忘れたころに、きっと姿を現す。

 そう考えて、僕は絵本とボールペンを引き出しにしまった。直前に月のシールを1枚はがし、絵本の背表紙を表に向けて鍵をかけた。その鍵穴にシールを貼って蓋をした。


 それから4日がたち、安藤は愛知県に引っ越した。

 その数ヵ月後、安藤から届いたハガキの返信に、月のシールを貼り、絵本の続編が発刊されたことを知らせた。



 僕たちはそれから連絡をとっていない。

 何枚目かの月のシールが剥がれ、また鍵がでてきた頃に、僕はこんなふうに絵本に目を通す。

 でも、彼女がどんな気持ちで書いたメッセージなのかは、もう、考えることができないでいる。


 




 おわり




 


 あとがき


 勢いとノリで書く、テーマ『創作とは妄想だ』の第一弾、『月は最良のコンダクタ』いかがでしたでしょうか。。

 本当に即興で書いたので、矛盾はあるは、内容はスカスカだわで、なんともいえないショートストーリーですが、そんなテーマでやってるので、その点は、大目にみてください。優しい読者の皆様。


 あくまでも、いい意味で適当にやっていくテーマなんで、気楽に読んでくださればTOKINOは大変嬉しいです。
 過去に自分で没にした、小説とか設定を広げて、プロトタイプ的な感じでやっていこうかな、とか思ってます。

余談だけどブログメンテと時間がかぶって、ヒヤヒヤしました。


 では。



 


【2008/06/09 22:10】 | 言葉『創作とは妄想だ』
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